2016年7月9日土曜日

プロトンの中の孤独-タイトルから頭に浮かんだ考えを自由にたゆらす

先日、酒の席で友人にふと聞かれた。

 「君は女友達に好かれていると思うかい?」


小・中学校では成績もまぁ優秀でスポーツ万能で男みたいな女の子。
そうすることだけでしか親は褒めてくれなかったから。親からはしょっちゅう人と比べられて(特に長男が優秀過ぎて、私は太刀打ちできなかった。)

良い成績とか良い結果を残さないと、あんまり彼女が好きな子供として認めて貰えない。女の子として可愛がられたような記憶はあまりなく、中学に上がるまでは全て兄のお下がりのショートパンツとTシャツで、髪もショートカットに母自身に刈られ、私は当然それが普通だと思っていた。時々スカートも履いたけど、それは彼女の月の周期か波のように訪れる彼女の罪悪感によるものだった気がする。

母親は何故か私が男の子と間違えられるのを喜んでいたように思う。
何度も衝突があったけれど、彼女は自分自身の行動には未だに気が付いていないと思う。

何故か・・・?
これは大変、家庭内で奥深い問題だけど私が育った家庭内で女が二人居ては彼女は生きて生けなかったんだと考察している。彼女にきっと悪気や悪意はなく仕方のない性分なのだ。

通常キャッチボールをするのは父親と息子が定番だが、私は何故かその相手は母親だった。そして、ちょっとよそ見して母からのボールを受けそこなってしまい顔面で受け止め、思いっきり鼻血を出した時、「ごめんね。大丈夫?」ではなく「何をよそ見してるのよ!もうっ!」と叱られた。

ご近所からは三人兄弟の末っ子だと思われていたらしい。




学校では先生に褒められることが多かった。国語の朗読は必ず私がさせられていたし、体育の授業で跳び箱や水泳の良い見本として、皆に披露するようにいつも求められ、その要求に応じる良い生徒だった。

一度、先生のミスなのか「明日、新入生の歓迎会でPTAと全校生徒の前で彼らに祝辞を述べてください。」と、なんと前日に家に電話がかかってきて、慌てて文章を考え大勢の前で緊張しながらも発表したことがある。先生は恐らくすっかりその人員の手配を忘れていたようだ。こちらとしては本当に冷汗ものだった。

そんな大役を授かるも、実は私は学年で二番手の女の子だった。
一番の女の子が先生の申し出を断ったので、私に回ってきただけなのだ。

小学生時分は男勝りになるべく逞しく育てられたのに、時々、両親二人からは大人の勝手な都合で「もっと女の子らしくしなさい。」と理不尽な注意を受け混乱をきたす。
更に都合が悪くなると「女の癖に。」と来る。

で、中学に上がって間もなく、思いっきりグレタ(爆)
私はそんなつもりはなかったけど、親から言わせたら、まさに” 不良少女と呼ばれて "とか "積み木崩し " だったらしい。(絶対彼らの勘違いだと思うけど)
一応、ちゃんとテストの成績は最低限ちゃんと残したからね。だって自分の人生を一瞬グレタせいで、台無しにするつもりもなかったので。

テスト勉強は繰り返し擦り込み作業を重ねれば良いだけなことが多いので、基本頭の良しあしはあまり関係ないと今でも思っている。



プロトンの中の孤独――――

これは私が大人になって愛読する、近藤 史恵の自転車シリーズの中で【サブァイブ】に納められた短編集の中のひとつのお題。

なぜか友人の言葉がそこにひっかかり。

 「君は女友達に好かれていると思うかい?」

私は即答で

 「いや、人に好かれようと思って生きていないから、嫌われているんじゃない?」

思わず口にしてしまった。
これがイケない・・・

ちょっと前に、ここの日記でツラツラて書いてしまったもんだから、その言葉がすぐに口から飛び出してしまったんだわ。

いや実は、本当のところは、こっちが、私の方が相手を嫌いなんだよな。
老若男女に関わらず、自分の都合第一主義人間が
だから、そんな人達に好かれようと努力はしていない。それだけだ。

山積みにされた本
図書館で一気に本借りて流し読み、吟味したものだけを購入する
プロトン(集団)というのは恐ろしいもので。
好かれようと努力している人とか、ちょっと綺麗だとか可愛いとか強いとか何かしらの才能を持っているとか、また反対に目立たない様に大人しくしてるとか若しくはとても細やかに”人さまに目立つように気遣いしている風にする” 事が割と重要で、そうでない場合は叩かれやすくてメンドクサイことが多い。言うべきことを言わずに、それを我慢が美学だとかで美徳化することで間違った組織化を図ることも多い。

思ったことをすぐ口に出す人間は、割と「ややこしい人」として除外されてしまう。
人を傷つけるために意図して発言しているのでは決してないにも拘わらず。
メンドクサイことか逃げるなら、嫌でも笑って従って黙っているのが一般的な作戦だろう。

” 女の子らしく可愛く、控えめに。人から嫌われないようにしなさい。"
やりたくもなかったキャッチボールをさせられて、娘に鼻血を出させておいて、自分勝手な母親の嫌な言葉が今も耳に残る。

実は私は女が苦手かも。母親は憎めないし愛すべき存在であるべきなのだが、私はちょっと苦手。

だって彼女は自分の都合第一主義だったから。
合わせるの大変だったんだよね・・・

一応、念のために言うときますが、出会う人にいつも嫌われる人間でもないです。楽しい仲間に事欠いたことはないくらい沢山の出会いにも恵まれていると思いますし、友達が沢山居てイイねと言う人も居るし(どこまでが友達カテゴリーなのかは別物として)
そして、とても信用のできる友人もその中にちゃんと存在しています。

アドラー心理学の応用で”人から嫌われる勇気”なる本が売り出されているようですが、そもそも人から嫌われたくはないのが本音で、私はまだ読破していません。

本当は女の子らしくできたら良いのかな。そんなことをサラリとできる人たちを羨望の眼差しで見つめるしかなく、可愛いなと憧れることも玉にある。でも私はプロトンの中ではそれができないのだよ。残念ながら。

いやここだけの話、本当はやればできるよ。でもそれは自分が本当に好きな人の前だけで十分。基本は平和主義です。ただ何かを期待して挑発してくる人が多いのが玉に傷。

先の発言はあぁしくじったかな?と一瞬だけ思ったけれど。
すっぱりそれを素直に発言した自分は大人になったなと思った。

後悔はしていない。

0 件のコメント:

コメントを投稿

あちこちでポイントが溜まる!

Rebatesお友達紹介キャンペーン