2016年10月9日日曜日

5.キネマの都-蒲田

下町ボブスレー・ロゲイニングの続き!
今日は蒲田近辺を中心に。

上京前の蒲田のイメージって、なんとなくガヤガヤした感じの下町で、
関西で言う尼崎っぽいのかな?っと想像してましたが、それは当たらずも遠からず。
天王寺駅界隈にも少し似てるかも。

元々はひとつ川を越えた神奈川県川崎の工場地帯の労働者がひと仕事を終えて
一杯呑みに来ることで栄えてきたのが蒲田の町だそうな。
飲み屋街も数多く、単位面積辺りで比較すると新宿よりも数が多いらしい。

蒲田の芸術文化としてはかつてのキネマの都、食文化では羽根突き餃子などが有名。
また羽田空港が近いので、スッチーなど航空関係者が住む穴場なんだとか。
訪問したチェックポイントに印しを付けられた地図
訪問したチェックポイントに印し
まず最初に探し出すべき撮影アイテムは「日本橋三里十八丁」と書かれた里程標。
里程標ってのは距離を記して道路・線路の脇などに立てた標識のこと。
地図の裏のヒントから調べたらどうやら聖蹟蒲田梅屋敷公園内にありそう。

お屋敷はどこかいな?


そんな屋敷みたいな公園あったかなぁ?と訝しげに走っていくと…
聖蹟蒲田梅屋敷公園の入り口
小ぶりな梅屋敷公園

あっこれかっ!いつも自転車で通り過ぎ、
ちょっと気になっていたフェンスと繁みの奥
思いのほか小ぶりな公園が現る。
京急梅屋敷駅からほど近くの第一京浜沿い。

ターゲット発見。
距日本橋三里十八丁と書かれた石の里程標
日本橋三里十八丁

今はこじんまりした公園ですが、昔は梅を中心に数百本の草木が植えられた東海道のお休み処。
江戸時代、十二代将軍 徳川家慶が、鷹狩りの際に休憩を取ったりしたそうな。
明治になって伊藤博文がここで新年会を開いた際に、出席者の木戸孝允が描いた絵の中に、
この里程標が描かれていたそうで、それを再現したレプリカ版が写真のもの。

ふーん。へー。ほー。

ロゲで巡る歴史を楽しむ


私、学生時代は歴史って、とっつきにくいし頭に全然入らない超・苦手科目でした。
いいくにつくろーかまくらばくふ。そんなんおぼえてしょうらいやくだつのん?
そう思っていましたね。
しかも、今の教科書では事実改訂されて1185年を正解とし、いい箱作ろうが定番です。
歴史は生まれ変わるのだ!

でも実際、自分の目で見て足で回ったロゲ地を色々調べ始めたら、ふーん。へー。ほー。と。
私も生まれ変わるのだ!

体感した場所だから必然的に歴史も興味が沸きます。
ロゲの楽しみはこうして帰宅後も続きます。

あ、一人で楽しんでないで先へ進みましょう。

続いては旧・松竹蒲田撮影所跡地のビルに描かれた壁画を探しに。
現在、大田区民ホール「アプリコ」や「ニッセイアロマスクェア」辺りが跡地。
ここらも何度か通っているけど壁画に気が付いたことはなかったなぁ。

ロゲ主宰者のマニアックな出題にほんとハマる。
この地図読みは、情報誌るゞぶを上回る楽しさ。

松竹蒲田撮影所の正面玄関の壁画が描かれたビル
アロマスクウェア隣のビルに壁画を発見
続いては手芸愛好家で知らない人は居ないユザワヤ本店
愛好家でもないですが、手芸用品ならユザワヤ!が合言葉で、関西の店舗で買い物してました。
テレビの企画番組で芸能人が買い出しに来たりもしてますし有名ですね。

撮影ポイントは、この可愛いひつじ時計。
ユザワヤのビル玄関上のひつじのからくり時計
毎正時に音楽が流れます
他にも数か所巡ったのですが、最後にご紹介するポイントは、
我国最初のエレベーター専門工場誕生の地碑。
これ、しっかり探さないと絶対に見逃すと思う!!!

普通のマンションの脇、植木の中に埋もれてました(爆)
繁みに埋もれて見つかりにくいエレベーター発祥の地碑

かつて東洋オーチス・エレベーター社が日本で初めてエレベーター製造の工場を開設した記念碑ですが、今は社名も日本オーチスと変わり、工場は千葉へ移転しています。

さて、歴史を巡る旅・広がる知識 すぐ忘れるけど・・・('◇')ゞ
本日でチェックポイントは50ヵ所中、残すところ14か所となりました。
あと数回の旅で終わってしまうなぁ・・・

次はどう地図を読んで進むか、また計画を練っておきます。お時間あれば、またご一緒に。

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